「仁多米」誕生秘話
島根県仁多郡奥出雲地方は島根県のブランド米「仁多米」の産地として有名です。
仁多米は2020年の米・食味分析鑑定コンクールで金賞を受賞しました。このコンクールでは全国から集まった4,755の米で食味を競い、グランプリである金賞に輝いたのはその中の18銘柄です。仁多米はその18銘柄の1つに選ばれたことになります。
今年の受賞で4年連続の金賞受賞。さらに金賞受賞は通算で10回となるため「ワールド・ライス・アワード・ゴールド10」に認定されることになります。過去にワールド・ライス・アワード・ゴールド10に認定された米は3銘柄あるため、仁多米は4銘柄目の認定となります。
味に定評のある仁多米です。当然、仁多米がおいしいのは奥出雲という土地が米の味を良くするのに最適な環境だからということに他なりません。では、奥出雲という土地はもとから米作りに最適な土地だったのでしょうか?実はそういうわけではなさそうです。
仁多米は「自然崇拝」という思想を念頭に、奥出雲という土地で営まれてきたたたら製鉄という「産業」と、そこに住む人々の「暮らし」。これら3つの共存を模索し続けた先人たちが作り上げた成果の一つです。時代と共に少しずつ形を変えながら、何代、何十代に渡り受け継がれてきました。これは、現在話題にもなっている「SDGs(持続可能な開発目標)」にも通じるものがあると思います。
今回は仁多米が誕生した経緯についてまとめようと思います。
「たたら製鉄」の町「奥出雲町」
仁多米のふるさとである奥出雲地方は、米だけではなく蕎麦(出雲そば)栽培や椎茸栽培、和牛の飼育も盛んです。そして何といっても「たたら製鉄」を定期的に続けている唯一の地域です。
たたら製鉄とは、日本で千年余にわたって受け継がれてきた伝統的製鉄技法です。木炭と砂鉄を三昼夜かけて精錬することで、日本刀の原料となる「玉鋼」といわれる鉄の塊を作り出します。(スタジオジブリの映画「もののけ姫」でもたたら製鉄の場面が出ていました。)
奥出雲地方は良質の砂鉄が取れたため、古来からたたら製鉄が盛んに行われてきました。
たたら製鉄による環境破壊
たたら製鉄には大量の木炭と砂鉄を利用します。木炭の原料となる木材は奥出雲の山々に生えています。また砂鉄は奥出雲の山のなかに埋もれています。ではどうするか。山々の木々を伐採して木炭の原料とします。さらに山々を削り取り、「かんな流し」という技法によって砂と砂鉄を分離することで、山の中から砂鉄を取り出します。
このようにたたら製鉄をするためには木々を伐採して山を削ります。するとどうなるか。後に残るのは削り取られて跡形も無くなった山々です。削り取られ、砂鉄も取れなくなった山々はたたら製鉄にとって「用無し」です。たまに、海外で鉱山として活用されていた山が穴だらけになり、どうしようもなくなっているという状況を見聞きしますが、奥出雲の山々も同じような運命を辿ってもおかしくなかったと思います。
自然崇拝と持続可能な産業設計
当時、奥出雲に住む人々の生活は、主力となるたたら製鉄と、それに派生する様々な産業により成り立っていました。自分たちの生活を守るためにはたたら製鉄を続ける必要がありましたし、生活をより豊かにするためにはたたら製鉄の規模をより大きくする必要がありました。そしてそれは、環境破壊の規模が拡大することを意味しています。
そんな状況の中で奥出雲の先人たちは、ただいたずらに規模を拡大するのではなく、自分たちの住む環境と産業が持続していけるような仕組みづくりをします。
森林の循環伐採
先述した通り、たたら製鉄には大量の木炭が必要です。木炭を用意するための木材は山々から調達するのですが、その時、伐採しても良い区域を予め取り決めてルール化し、森林が蘇る(木々が育つ)30年サイクルに合わせて伐採可能区域を調整しています。伐採された地域は、次に木々が生えそろう30年後まで保護されます。
皆が「今だけ、金だけ、自分だけ」の精神でとにかく規模拡大を続けるのではなく、今ある森林資源がどれだけで、それを循環させることを前提とすると伐採可能な区域はどれだけで、、といったことを事前に把握・計画したうえで森林伐採をしていたことになります。
たたら製鉄が数百年も続いていたにもかかわらず中国山地の山々が今でも緑に囲まれているのには、このような仕組みづくりも要因になっていると考えられます。
採掘跡地の利活用
たたら製鉄で必要となる砂鉄を採掘するために削り取られた山々。奥出雲では削り取られてどうしようもなくなった山々を放置するのではなく、そこを平地に整備して田畑に再生しました。また、かんな流しで利用していた水路は田畑へ注ぐ水路として再利用しました。
先人たちの自然崇拝と循環産業が生み出した副産物
砂鉄採掘の跡地に誕生した田畑。ここから生まれたのが「仁多米」です。
山間部という稲作環境は、山々のミネラル豊富な湧水が得られ、さらに寒暖差の激しい環境のため、もともと米の味を良くする条件が揃っています。一方で山間部は、田んぼを作る場所を確保しにくかったり、日陰が多い、風通しが悪いなどの理由から稲作をしにくいという悪条件もあります。
しかし山間部ながら平地に整備されている奥出雲地方の田んぼは、山間部特有の悪条件を克服しました。ミネラル豊富な山々からの湧水と激しい寒暖差、そして長い日照時間。山谷風を利用した風通しの良さ。これら米の味をよくする条件が揃ったということになります。
これは元をたどれば、自然崇拝を理念とし、持続可能な循環産業の展開から生み出された副産物といえます。
形を変えて脈々と受け継がれる「奥出雲」という物語
かつて奥出雲の主力産業だったたたら製鉄は、西洋の様式が入ってきたことで衰退しました。今現在、たたら製鉄を続けているのは世界で唯一、奥出雲の日刀保たたらのみです。それはそれで伝統技術という意味では価値がありますが、奥出雲で暮らす人々の生活は成り立ちません。
奥出雲の先人たちは、主力産業であるたたら製鉄の規模拡大だけを目指すのではなく、自分たちの地域が持続可能であるように産業を設計しました。さらに採掘等により変えてしまった環境を放置せず、次につながるよう手間をかけて再生してきました。
今、仁多米は奥出雲の特産品として人々の生活を支えています。
仁多米だけではありません。かつて木炭用として活用されてきた木材は、奥出雲特産の椎茸をの菌を植える木材として活用されています。循環伐採をしてきた山々には、木々の生育状況ごとに多様な生き物が暮らす環境となっています。また、たたら製鉄で役牛として飼育されていた和牛。この和牛は今や「奥出雲和牛」というブランド牛として展開されています。さらに仁多米栽培で出たワラを奥出雲和牛のえさとして供給し、逆に牛の堆肥を田んぼの肥料として提供するといった循環があります。
たたら製鉄に由来し、奥出雲で展開されてきた長い長い物語は今も続いています。それは「自然」、「産業」、「人々の暮らし」。これらの共存を目指す物語です。