祖父が亡くなりました
母方の祖父が亡くなりました。
新型コロナウイルス、オミクロン株の感染拡大がはじまりだした時期ということもあり、葬儀は少人数で終わりました。
大学進学を機に大阪に出てからというもの、私は祖父と会う機会がほとんどなくなっていました。祖父との思い出の多くは、小さい頃の思い出です。そして祖父との思い出の舞台は、祖父の住んでいた茅葺の民家です
祖父の家
母方の祖父は祖母と二人暮らしでしたが、同じ奥出雲町内に住んでいたということもあり、私がまだ小さい頃は時々遊びに行っていました。特にお盆休みや年末年始の時期は親戚中が泊りがけで遊びに行くので、そんな日は賑やになります。
私たち子どもたちは久しぶりにあった従妹たちと祖父の家の中や庭で遊びまわります。家の中には大きな客間があり、子供たちはそこに積み上げられた布団に乗って飛び回り、よく怒られたのを覚えています。家の庭には甘酸っぱい味のする実が成る木が生えていて、そこによじ登って木の実を食べたことも覚えています。また家の裏には祖父が所有する裏山があるのですが、探検ごっこと言っては山の中に入ったり、シイタケを採ったりして遊びました。晩御飯の時間になると、親戚一同が客間に並んで食事です。4家族、20名くらいが集まりましたが、それでも十分な広さのある家です。
誰もいなくなった89歳の茅葺民家
祖父の家は立派な大黒柱に支えられた茅葺屋根の家。日本昔話に出てくるような古民家です。祖父はこの家の大黒柱が好きで、この柱に傷をつけると怒られたと母から聞きました。
家の登記簿を見せてもらうと、昭和8年築でした。家の横に建っている蔵が建てられたのは大正だったため、家は昭和8年に建て替えられたということだと思います。昭和8年ということは、2022年現在で築89年。祖父は91歳で亡くなったため、祖父と共に時代を歩んできた家ということになります。
祖父と共にこの家に住んでいた祖母は、現在施設に入っています。祖父と共に時代を刻んできたこの家は空き家になってしまいました。
それでもそこに残っている
この家と共に年を重ねてきた祖父は亡くなり、祖母も施設に入っていて、もうこの家に戻ることは難しい状態です。祖父が亡くなった後の大雪の日、母とともに祖父の家に行き、玄関までの道の雪掻きをしました。家の周辺を見回ると、所々壁が崩れかけ、屋根も補修が必要な状態になっていました。
祖父母が住まなくなり、必要とされなくなった89歳の民家は、それでもそこに残っています。いずれ、この家をどうするのかを決めなければならない時が来るのだと思いますが、今はまだ、時が止まったかのようにそこに残っています。